森村学園とは
森村学園とは
校章・校歌
校章
森村学園の創立者は明治の実業家森村市左衛門です。森村学園の校章は森村家の家紋(下がり藤)を基礎に、森村の頭文字であるMが意匠化されて出来上がったものです。市左衛門の創始したノリタケが海外に輸出した製品の底には、非常に形のよく似たマークがしるされています。このマークがベースになって校章用にデザイン化されたのです。
校歌
森村学園の校歌は、1919年(大正8年)頃、当時国語の教員だった深井虎蔵先生が作詞、音楽の教員だった納所辨次郎先生が作曲したものです。歌詞は七、五、七、五の繰り返される今様風です。小さな芽がやがて大木となるように、森村のこどもたちもいつか世の中を動かすまでに立派に成長するのだという決意と意気込みの伝わってくる内容です。納所先生は現在の東京芸大を卒業し、「もしもし亀よ」などの童謡や唱歌の作曲家として明治から大正時代に活躍した著名な作曲家です。また、明治時代には数少なかった日本のテノール歌手でもありました。森村学園では、課外授業で希望者にピアノも教えていました。森村生は、この先生から「七つの子」や「春が来た」「おもちゃのマーチ」といった童謡を教わっていたのです。